不信仰の信仰者

 私は占いを信じていない。それどころか,コールドリーディングなどのあらゆる手口を知ったうえで,あえて何も知らない純朴な人間として占い師に話しかける悪質な人間である。実際にいろいろな占いを経験することによって,なにが当たったように感じて,なにが外れたように感じるのかも把握している。当然,当たったことは強く印象に残り,外れたことは印象に残らない。よって,今から書かれることも当然覚えていることになる。

 私は手相,暦,易を好んで受ける。何故ならば,それらは何らかのデータを解釈することで未来について述べたりするが,その際には必ず私の服,喋り方,雰囲気などがみられているのが分かりやすいからだ。対面した状態からそれをやると,コールドリーディングをしていることがすぐばれるので占い師は慎重になるが,これらの場合はどのタイミングでなにを読み取っているのか,多くの場合占い師の視線や言動で簡単にわかる。ようは,コールドリーディングから気をそらすためのツールとして機能している面があるので,リーディング自体はそこまで巧妙なものではないのだ。

 そして,実際に受けるとリーディングだけでは見えない未来について語らなくてはならなくなる。今年受けた手相では「あなたは人を育てる畑」「実践的な仕事が向いている」「今年は2人分の働きができる」「5月に驚くほど良い出会いがある」「あなたの理想の相手は~」「本当の適職は~」など言われたが,当たっているものがいくつもある。どんなものが向いているかや,まだ結果として振り返ってみないと分からないような言明を除けば,どうしてそれが分かるのか説明がつかないことが多々ある。そして,暦を見られるときには必ず勉強の星が2つついていることも指摘される。

 別の占い師によって,リーディング以外の別のツールから同じような結果がもたらされ,かつそれがどうにもバーナム効果によった見せかけの的中ではないような結果であったとき,私はつい占いを信じそうになる。信じそうになるから,今度ははずれさせてやろうとまた占いをしにいく。もしかしたら,占いを信じている人より占いに真剣かもしれない。