血は争えない

 父は学がない。私の事を良く知る人にとって,私がこう言うときには相手を謗るような意味を持たせてはいないことをよくわかっていると思う。これを再認識して,父は父なりに私を考えていたという事をなお思い知る出来事が起きたのでこれを書き残す。

 あることが起きてから,父と私には長い事軋轢が生じていた。ここでは詳細を省くとして,それが昨日解消された。少なくとも,私の中では。

 父は単なるギャンブル依存症であると勘違いしていた,それは,幼いころからずっと競艇・トトなどをやる父を見て,しばしば手元の金が全てなくなり生活は困り果てるといったことに巻き込まれてきたせいだ。私が賭け事も金も嫌う原因はここにある。

 ところが,どうやら単なる依存症ではないことに気が付いたのである。父の横には,ただの賭け狂いとは思えないような細密に作られたもの,データの処理に関してはとてつもない才能があるのではないかと思わせるようなもの,単純な数字の細かい羅列の記された紙が大量に積みあがっていた。思い返してみれば,幼いころからそれはずっと父の傍にあったし,それがギャンブラーのやることなのだと思っていた。しかし,少し大人になった今,私が新たに知るところの賭け狂いたちの傍には一切そのようなものはなかったから,父の家に行ったときにそれを見て,ピンと来た。

 (話はズレるが,今まで父は私の前で本を全く読まなかったし,教養らしい教養も見せてこなかった。それだけに,ある人物への手紙をのぞき見したときに哲学者の言葉が引用されていたのは驚いたし,内容も私と話すようなこととは全く違っていた。軋轢があって家を出てからしばらくしてから自分の荷物を取りに訪問すると,ペットボトルのキャップとストローとビーズで丁寧に作られたカーテンが出来ていたりした。全く,つかみどころのない器用な人物である。)

 その内容を予想しつつ,罫線が手書きされた紙を指さして詳細を訊ねると,私が予想していたよりも単純なことをしていたが,長い間データを取って整理して予想し,それなりに結果も出していた。詳細は言えないが,いくつもの会社を経営した(売ったり,つぶれるなどしてしまい最終的には貧しくなったが)彼はその分析能力を使うのが大好きなのであって,別にそれがギャンブルでなくても良かったというのも聞いた。ここで,昔勤めていた時に私が言われた言葉を父に向けそうになった。「もしあなたがきちんとした教育を受けていたらどんな人物になっていただろう」と。